なんで続けるんだろう?

ネタサイトは平均的に寿命が少ない気がする、ってのはある程度共通の認識だと思います。現に更新停止に陥ったり、閉鎖、休止も体感的に多い気もします。

ということはネタサイトというのは続けにくいものに違いない。では反対になんで続けるんでしょうね?

個人的にすごいなーと思うのはプラッチックのフロンツさん。毎日更新であんなに長いこと続けるのはすごいとしかいいようがない。あとやっぱり母さんもすごいんでしょうね。

とここまで書いてみて母さんとプラッチックはネタサイトじゃないのかもしれない、という気もしてきた。僕はネタ=内容、ととらえているのだけれど、母さんとプラッチックはシチュエーションコメディーに近いのかもしれない。あんまし深く考えて言ってるわけじゃないけど。

ネタサイトってことになれば続けるための原動力は自己満足だけではないはずだ。ネタを中心に据えるならやはりそれを見てもらうことが1番の原動力になるだろう。つまりは続けるためには多くの人に見てもらっている、ということが必要なんじゃないか?(逆に多くの人に見られるプレッシャーもあるだろうが)

ネタサイトが続かないのは思ったほど人に見てもらえない、ということもあるだろう。2匹目のドジョウを狙ったものの実はオリジナルはものすごく出来がいいことに気付いていない。いや、そこまでいかなくても多くの人に見てもらえるほどのバランスを持ったネタサイトは一握りになってしまうのだ。

これはネタというものの性質上、一位か凡百か、というものがはっきりとわかれやすいことが理由としてあるだろう。侍魂か、劣化コピーか。それしかないのだ。(侍魂はネタサイトですよね?)

これは才能の枯渇、といった簡単な問題ではないような気がする。なぜ続けるのでしょうね?

あきない

現実逃避といえば日記です。実生活がテンパってます。

http://d.hatena.ne.jp/YLB/20030727#p1

ということで作者が飽きるのも早いんじゃないか、ということですね。そういうとこも結構あるでしょうね。実際継続は力なりというか、同じネタを何回でも続けられる、ってのは相当の強みでしょうね。(「母さん」を例に出していいのだろうか?)

器用貧乏って言葉があるように、技に溺れる人はあれですね。継続って言うとイチローとか松井が思い浮かぶんですけど、器用っていう印象の元木なんかは大成しないなあ、という印象。隠し球ってのはセンスだろうけど、反復練習に勝てるものだとは思わない。

だから固執できる何かを見つけられるってことは素晴らしいでしょうね。「だっちゅーの!」に固執して長続きしなかった、てのはそれが弱かったんでしょうね。「シンプルで飽きの来ない」ってのはフォーマットやネタに関しても必要でしょう。難しいことだとは思いますが。

商い=あきない、みたいな?(違うかも)


http://d.hatena.ne.jp/YLB/20030725#p1

そういえば最近漫才を見ていないです。昔好きだったってことでも当てはまるのだろうか?そうだとすると古いはずです、僕のサイトは。ワンスアポナタイム。

サイトの寿命

サイトの寿命かあ。
http://www.au.wakwak.com/~kudok/essay/e66.htm(7月22日)
(情報元 http://www28.cds.ne.jp/~cattail/
これって「その人」のネットでの一生ではなくて、サイトの一生なんだろうな、と。
つまり新しいサイトを作ればまた新しいところからはじめることができる、ということ。オンラインゲームはわからないのでRPGに例えると、「2巡目」ということが言えるだろうか。僕なんかは「ウィザードリィ」って言われるとしっくりくるような気がする。

新しいサイトを作ることはそこから前回のプレイの続きになるわけではない。前回の経験値を持って新しい冒険の始まり、ってことになると思う。

例えば新しい出会い、初めてのメール、初めての掲示板カキコ。サイトを始める時には2回目であれ誕生という雰囲気はあると思う。それをどこで判断できるのかはわからないが。(リドミ?)

そういう不完全な時期こそ人は集まったり流動的だったりするもので、一度安定した更新に入ってしまえばメールやカキコはそんなにない。気がする。

って今まで全部自分のことを書いてるんですけどね。一般化できるかどうかはあまりにも怪しすぎ。

つまりは一度イメージついちゃったら新サイト作るしかないのかなあ、ってことで。

ヲッチ

そういえばダークマターには「絶対安全」って雰囲気があったな。個人的な感覚かしら?そのへんが人気の秘訣だったのかなあ。ミイラ取りがミイラにならない感覚。それを演出できてたとしたら濁さんはすごい。いや、いまさら取り立てて言わなくてもすごいんだけど。

ネタ系サイトの寿命

日記サイトとネタサイトは別物である。ネタサイトは日記サイトより平均寿命が短い気がする。これは単にネタ切れ、といった問題にとどまらず、飽きられやすい、ということにも起因している。ネタサイトは転換が難しい。フォント弄りから非フォント弄り、痛い系からリリック系(あるのか知らないけど)へ。日記サイトなら転換は容易だ。

ネタサイトは頭打ちが来る、気がする。頭打ちになってから新しいことをやっても遅い。

そういう意味でも例えばリドミに登録した直後が勝負なのだろう。僕はリドミ新作スレで普通にスルーされましたが。あれが悲しかったので再登録でもしようかな、とか思った。まあ再登録をするよりは新サイトを作ったほうが効果的だろうが。

で、頭打ち。これはイメージ的なものだが、人間関係的なとこからくる気がする。つまりはリンクに代表されるような部分だ。ある程度リンクが硬直してしまえばネタ系サイトが新しい門戸を開くのは難しそうだ。

というわけでアクセス数は驚くほど頭打ち。

飽きるということ

質問です。読者と作者、どちらが先に飽きるのでしょう?

僕は読者だと思います。感覚的なものですが、巡回先は定期的に変わっていくけれども、更新先はあまり変わらない(当たり前っぽい話ですが)気がする。

読者が先に飽きるのだとしたら、こんなにコロコロ飽きてスタイルを変える僕のサイトは、僕が飽きるよりも早いスピードで飽きられているに違いない。

もって1日、というところか。(今回も長くなさそうです)

リンクについて考えよう

リンクというのは難しい。これが正解、というものはないのだろう、と思います。

インターネットに浮いているからには、どうしたって最初はリンクが必要です。繋がりがなければ誰もサイトに来てくれない。

そこで面白い現象として、相互リンク、というものがあります。僕は相互リンク依頼をしたこともされたこともないんですが、実際解析を装着しているところでは貼り返しをやってるところもあります。僕もそうです。

で、相互リンクってなんなんだろうな、と。お互いにリンクをすること。これ実は至極健康ですよね。でもリンクって相互というか、リンクをイコールにすることって難しい。例えば人気サイトから貼ったリンクなら圧倒的に存在感をアピールできる。逆にデキタテのサイトから貼っても自分しか飛びません。

これって相互関係にできるのでしょうか?互恵、互いに恵む、の観点から言えば難しい。人気サイトから貼られたリンクに報いることってホントは難しい。逆にある意味で暴力的なのかもしれない。アクセス数で数えるのもおかしいかもしれないけど、こちらから同じ数の人が相手のサイトを見てもらうようにはできない。

僕はこの相互リンクってのをイコールにしたいなあ、と思ったりします。一番いいイコールって、1=1、つまり自分も相手も互いのサイトを見てる、っていうことだと思うけど、これも簡単なように見えて難しい気もします。

日々繋がりは変わってくし、好きだったサイトもなんか見なくなっちゃったりする。それで相互リンクが切れるってのも悲しいことです。

っとここまで書いてほんとよくわからなくなりました。ということでリンク作りましたけど、僕はあまり誠実じゃないなあ、ということです。